情報発信者には情報が集まる不思議

self-argument

こんばんは、ちむです。今日はちょっと真面目な話。情報発信者には情報が集まるということについて。
※このサムネ久しぶりw

情報発信とそもそもなんぞや

情報社会の現代において、「情報発信」という言葉は聞き馴染みがあるようで、実はよく考えたことがない言葉のひとつなのかなと思っています。

その名の通り、「情報発信」とは自分起点で情報を発信することをいいます。特に情報は一次情報はや二次情報という形で分けられることが多いのですが、ご存知ですか?

一次情報とは「自分が直接体験して得た情報、もしくは直接行った調査や実験で得た情報」のことを指します。例えば、今日行った焼肉屋さんの肉がジューシーなのに脂がくどくなかったという感想は一次情報です。

二次情報とは「自分の直接的体験による情報ではなく一次情報を持つ他人、いわゆる間接的に得た情報」のことを指します。例えば、食べログにある焼肉屋さんの肉はジューシーなのに脂がくどくないと書いてあったらそれは二次情報です。

僕が使う「情報発信」という言葉はこれら2つを含んでいます。

なんで情報発信者に情報があつまるのか

今日言いたいことの結論だったりするのですが、「与える」側の人は基本一番「与えてもらっている」側の人だと思っています。哲学っぽいでしょ。こういう話が好きなんです(笑)

まぁどっちが先か、鶏が先か卵が先かというような話もありますが、結局「情報発信」をする人には関連情報のタレコミというものが来やすくなります。

このブログもまさにそうで、例えば、ここでこの焼肉屋おいしかったんですよね〜こうこうこういうところが美味しくって…!という話をすると、記事を読んでくれた人がリプや通話とかで「ここの焼肉もおいしいよ!言ってたみたいにこうこうこういうところが美味しいから食べてみてほしい!」みたいな情報が来るわけです。

これって本来ならたどり着けなかった情報だと思いませんか?現代ってすごく便利なんですけど、本当に情報の供給が過多なので「選択」することが最も難しいわけです。その結果、たどり着けたはずの情報にたどり着きにくい状態になっているんですよね。

でも情報発信をすることで点と点が結びついて線になって新しい情報を得ることができます。

臆せず発信してみてほしい

特に大事にしてほしいのは「一次情報」です。私はこう思った、悲しかった、嬉しかった、悔しかった。なんでも良いとおもいます。もちろん人が不愉快になるようなことなどはTPOを考える必要がありますが、どんどん出していくのが良いんじゃないかなと思っています。

もちろん秘密主義の人とかそんないきなり馴れ馴れしくされたくないからと言う人もいると思うんですけど、まぁある意味そういう人をあぶり出したりすることにも繋がりますし、新しい情報になります。

自分はみんなが反応してくれると思ったようなトピックスが全然響かないとかも結構大事なことだと思っています。それだけ世間と自分がズレているという実感になるので。

人って絶対評価だけでは絶対に測れないじゃないですか?特に社会という部分において。そうなったときに、自己を感じられるポイントって相対的な距離感で測れると思うんですよね。
自分が当たり前だと思っていることが世間ではズレていたり、自分が非日常だと思っていることは特定の界隈では日常だったり…。なんでも他の人にとってどう感じるのかとかそういうことを知る機会って現代においてってすごく貴重なんだろうなぁと思っています。

みんなにブログ始めろとかは全く思わないですが、どんどん一次情報の発信することおすすめですと言う話でした。

最近寒いですねぇ…なんかようやく冬を感じてます。もちろんこれまでも寒かったけど例年ってもっと寒くなかったっけ…?とりあえず、みんな風邪とかインフルとかコロナとか気をつけましょうね〜手洗いうがい徹底すると僕みたいに15年位風邪なし、インフルなし、もちろんコロナもなしという身体ができます(しらんけど)

というわけで締めが長引きましたがまた明後日かな。おやすみなさーい

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