僕に大きく影響を及ぼした言葉「無知の知」

how to think

こんにちは、ブログ久しぶりのちむです。最近ネタがいまいちなくてサボってました。今日はそういえばちゃんと説明したことがなかった「無知の知」について書きたいと思います。
※音の響きは似ていますが、ちむという呼び名には一切関係がございません。

出会いは高校2年生の倫理の授業

当時勉強するけど不真面目授業態度のちむくんは、倫理の授業は一番前の座席で他科目の勉強をするくそみたいな態度で授業を受けていました。基本授業は聞いているだけなのが退屈というかんじだったので授業はだいたい聞いてはいたのですが、そこで出てきたのが聞いたことがある人がおおいはずのソクラテスという人です。

まぁこの時代の人の画像あるあるですが石膏像?なので、本当にこんな顔かどうかはわかりませんが、思想に顔は関係ないのでこれくらいにしつつ、生まれた時代は紀元前500年くらい?なのかな、詳しくは知りません。ギリシャの哲学者だった彼の言葉は高校の倫理として教えられていました。はっきり言って僕はもう「無知の知」の言葉がでるまでの経緯は全く覚えていないので、以下wikipedia参照(笑)

デルフォイ神殿の神託
ソクラテスの友人がデルフォイのアポロン神殿に出向き、「ソクラテスよりも知恵のあるものはいるか」と問うた。それに対しての神託は「ソクラテスよりも賢い者はいない」というものだった。これに、ソクラテスは驚いた。なぜなら、彼は自分がそれほど知恵のある人物だとは思っていなかったからだった。

彼は神託の真意を求めて、賢者・知者と言われる各地の政治家や思想家たちを訪ねた。そして、人間にとって大切なことなどについて問うた。だが、彼を満足させるような答えを述べられたものは一人もいなかった。そこでソクラテスが気づいたのは、人間が生きるのに必要な「善」や「美」などについてだれも知らないということであった。

むしろ、世の中で賢者とか知者と呼ばれる人は知らないことに気付かず、知っていると思い込んでいるにすぎない。しかし、ソクラテスは自分が知らないと思っている。つまり、自らの無知を自覚している(無知の知)。

また、アポロン神殿には「汝自身を知れ」という格言が刻まれていた。これは本来、不死の神に対して、いつかは死ぬ人間が傲慢に陥ることなく、自らの分をわきまえるよううながすものであった。しかし、ソクラテスはこの言葉を自らへの神託と結びつけ、自らの無知の自覚を出発点として、善く美しい人の在り方について探求しようとした。

https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%80%AB%E7%90%86/%E3%82%BD%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9

という話だそうです。まぁこの人自体「善く生きる」を確かに題材にしていたので、betterな人生ってなんやねんっていうのがテーマと解釈できるかなと思います。その中で出てきたのが「無知の知」とか「汝自身を知れ」という言葉らしい。当時はギリシャ紀元前、賢者は神のように扱われていたがそこに疑問符を投げかけたのがソクラテスという感じですかね。結局自分が納得するような回答を与えられない時点でお前ら賢者でもなんでもちゃうやんけという訳ですね。そういう意味でソクラテス自身は知らないことがあるということを自覚できているというのが「無知の知」という言葉です。

僕を戦闘民族にたらしめた

で、高校時代学年内でも比較的上位にいた私は若干天狗だったわけですが、気付くんですね。

「そうだよなー、これだけ勉強してもしても一生知らないことが出てくる。こんなにも知らないことが出てくるということは自分は全然未熟だ、もっと知らない世界がある。知らないことをもっと知らなきゃ」と。

まぁ元々負けず嫌いだった部分はありますが、戦闘民族マインドにたらしめたのはこの言葉な気がしています。
自分は弱いという自覚は強さを欲し続けます。俗に言うハングリー精神というやつでしょうか。僕はハングリー精神の先の達成感の中毒になっています。それ故、言葉を知ってからのこの10年とちょっと。ずっと現状満足という言葉は僕の辞書にはなく、生きてきている感じがしています。僕は知らない自分を知ってしまっている、故にまだ!もっと!足を止めるな!手を動かせ!その場に留まるな!前へ!そんな強迫観念が常に脳みそを支配しています(笑)

飢餓感ゆえに感じる幸

総じてですが、僕はこの言葉「無知の知」に感謝しています。多分この言葉を知り、まだ知らない世界があることを精神が成熟する高校時代に知らなければ、もっと高圧的でもっと嫌なヤツだった気がします。もちろん自分が努力できる、飢餓感に突き動かされて行動できていることを棚に上げて、他者にももっとやれる!がんばれ!と思ってしまう節はまだまだ改善点がある部分(他者が自分のようにできるわけではないということ)ですが、余計なプライドを捨てやすくなる考え方だと思っています。

あと、この考え方があるおかげでできるようになった時にできるようになったことを感じやすいです。ん?何を当たり前のことを?と思うかも知れませんが、何かをできるようになったということを知覚するって結構難しいんですよね。ただ出来ないことを気付いて、理想の姿、目標の姿を描いた先にどうすればそこまでのギャップを埋められるかという考え方になるので、埋まったギャップを数えると思い描いていた目標達成を感じやすい=幸せを感じやすい体質になりました。

今日は僕の考え方に大きく影響を及ぼしている「無知の知」という言葉について書いてみましたがみなさんにもありますか?自分の考え方に強く影響を及ぼしている言葉。今一度なんでその言葉が自分に影響を及ぼしているのか可視化してみるのおすすめです。おもったよりも頭の中がスッキリします。
というわけで今日はこんなところで!あでゅ!

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